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縁あって某ドイツ企業から与えられていたストックオプションを行使し、宝くじに当たったかのように自分の会社を持ったまま完全ニートになったのが2015年6月のことです。

その後の会社の業績も絶好調なのですが、一方でかなりネガティブな経験もしていますので、せっかくなのでここで書いておきます。(これは旧ブログの編集後の転載です)

シンガポール法人が破綻

なんと、シンガポールの現地パートナー(資本関係はないものの、僕の会社のシンガポール現地法人という位置づけ)がついに倒産しました。

この破綻したB社は、10年以上前から僕のブログを読んでいる人にとってはたびたび登場する会社です。

僕たちは最初はシンガポール法人を使ってビジネスをしていた

時計の針を戻すと、僕が起業したのは2008年4月。

その前年の2007年から2008年の3月まで、僕はバンコクのウォールストリートという英語学校に1年間の語学留学(実質的な遊学)をしていました。この時期からブログを読んでいる人は大体は僕の顔見知りだと思います。

当時は上述の通り、まだ僕自身の会社がありませんでした。

そのため、僕の父は、このシンガポール法人(B社)の共同経営者として、コンサルの会社をやっていました。(ただし父の本業はB社とは全く関係のない大企業の役員です)

つまり、前述の通りB社は僕の会社とは直接的な資本関係はありませんが、B社の株の30%を父が押さえているという意味で、間接的には関わりがあるということです。

さて、大学院まで出たのに就職もせずに(正確には就職できずに)バンコクでニートをやっていた僕は、2007年時点では、留学期間の1年を終えたらこのB社に就職することが内定していました。

小規模ではありますが、一応、外資系コンサル会社というわけですね。

つぶれたシンガポールB社の概要

今回潰れたシンガポールのB社の株主構成は、当時、スウェーデン人の社長50%、共同経営者である僕の父30%、上海在住の支那人パートナー20%です。

つまり僕の父はB社の会社のトップではなく、ナンバーツー。B社の日本事務所の代表という立場でした。

そして僕が帰国した2008年4月、B社の日本事務所を法人の形にしたのが、今ある僕の会社です。

最初はシンガポールのB社に社員として直接入れると甘く考えていたのですが、職務経験がない人はいきなりシンガポールではビザが下りないし、そもそも役にも立たないからという結論になり、父の庇護の下で自分で会社を設立し、シンガポールのB社の傘下に入る形にしたわけですね。

B社と僕の会社は直接的な資本関係はありませんが、力関係として、B社がシンガポールにある本社、僕の会社がその日本支社みたいな立ち位置だったのです。

現にコンサルティングの仕事は、会社旗揚げ当初の2008年当時はまだ自身には集客力がなく、すべてシンガポールのB社から業務委託してもらったものでした。

B社がつぶれたら僕の会社もつぶれるということです。

B社の凋落と同時に自社の飛躍が始まる

その後、2008年9月にリーマンショックがあり、仕事が減り、シンガポールのB社は没落を始めます。

逆に、僕はこの年にようやく社会に出たばかり。

僕はリーマンショックの年にWEBデザインの専門学校に入り、半年間集中してWEBサイトを作る勉強をしました。

2009年3月に学校のコースを終え、同年、日本にある自分のコンサルティング会社のWEBサイトを立ち上げ、独自での集客を始めました。

その2009年、シンガポールのB社では新たな出来事がありました。

筆頭株主で父とともに共同経営者だったスウェーデン人の大株主が、株式をオーストラリア人に売却して会社を去ったのです。

その新しい大株主としてCEOになったオーストラリア人のA氏が、お世辞にも能力値があまり高い方ではなく、B社の没落に拍車をかけてしまうことになりました。

後ろ盾のB社が弱体化したことにより、僕ら日本法人の仕事も一時的に激減。

集客ルートさえ押さえれば自立できる

でも、2011年くらいからは、シンガポールのB社から仕事をもらわなくても、自分でWEBから仕事を受注できるようになっていきました。

翌年の2012年の時点では、シンガポールのB社と僕の会社の力関係は完全に逆転。

僕の会社が仕事を取り、海外関係の業務をB社に逆に委託してあげるという上下関係になりました。

B社との関係は一気に希薄化

しかも、僕がWEBで集客できるようになった仕事は、上記のB社に委託する必要もない案件だったり、そもそも日本国内で完結する仕事だったり、商圏が中国やインドとかで、B社が押さえていない地域の仕事だったりもするわけです。

それに最初に書いた通り、現オーナーはあまり有能ではないオーストラリア人。下手に仕事をやらせたら、自社の評判すら落としかねません。なにせ依頼してくる会社は2012年頃には東証一部の大企業ばかりでしたから。

というわけで、まだB社の株主である父も合意の下で、もうB社には仕事を与えないようになったわけです。この時点で父も自分の株式持分が将来紙切れになることは分かっていたはずです。

オーストラリア人社長、倒れる

それから数年間、B社社長とは連絡もあまりとらなくなりました。

そして先月、久しぶりにそのオーストラリア人の社長から父にメールが届いたのでした。

「自分は進行性のガンになり、療養のため既にオーストラリアに帰国した。シンガポールのビザも切れた」

 

しばらく音沙汰がなかったのは、仕事がないからだけではなく、病気のことがあったからだったのでした。

「ついては、会社を閉鎖するにも費用がかかる。その件についてはこの代理人に連絡を取ってほしい」

 

と言い残し、連絡はプッツン。

今のところ会社閉鎖は保留

これで父が出資した株式は紙屑となり、しかも会社閉鎖というお仕事まで託されてしまったわけです。

僕は性格が悪いので、最初はこの社長の病気の話すら疑わしいと思いましたが(要は金をもって夜逃げされたと思ったわけです)、後々に出てきた事実などから、嘘ではなさそうだと分かりました。

でも会社を閉鎖するにはお金がかかるというのも事実。

と言うわけで、現時点では、まだ会社はそのままですが、父ともう一人の上海在住のシナ大陸人の株主で今後のことについて検討中です。

僕は正直、もうノータッチでいいと思います。

会社を潰すのもいい経験です

父はITバブルの時に一度起業して失敗し、このB社への出資もこういう結末になったので、20年弱の間に2つの会社を潰したことになりますね。

でも成功した起業家でさえ、過去に一つや二つの会社を潰したという例はいくつもあります。

「金持ち父さん、貧乏父さん」の著者であるロバートキヨサキ氏も20代の頃に立ち上げて大成功したナイロンとベルクロの財布の会社を廃業し、その後もいくつかのビジネスに失敗しています。

僕は会社を潰した張本人ではないですが、この一件で、今後の糧になるような教訓をいくつか学場せてもらいました。

特に「こうするとダメ」というような事例はこのシンガポールの会社を通してかなり勉強させてもらいました。(ITバブルの時に潰れた会社については、当時僕は子供だったので最近になるまで知りませんでした)

折角なのでついでに書いておきます。

これまでブログに「お前は親のすねかじりだ」とか、「お前は親の金を使って投資をしているから大したことないニート」とか的外れなコメントを7,8年ずっと投稿し続けている暇な人がいます。

でも、富と言うのは別に一代で築けるとは限らないし、親の失敗や成功を踏み台にして自分が大きくなるのって、何か問題ありますか?

重要なのは、生まれ育った環境を自分がどう活かすかです。

来週、シンガポールに行ってきます

こうしてB社はお陀仏となったわけですが、実は僕、今月23日から3泊でシンガポールに出張に行ってきます。

新しい下請けとの初対面

それは、3年くらい前からB社の代わりに僕の会社の下請けとなっているO社の社長と今後について打ち合わせをするためです。

このO社の社長はインド系シンガポール人で、商才はかなりありますね。上記のオーストラリア人とは雲泥の差。

実は、O社の社長を紹介してくれた人というのは、一番最初に書いたB社の創業者であるスウェーデン人です。

このスウェーデン人は優秀で、この人が会社を去ってからB社の凋落が始まったくらいです。

それを申し訳なく思ったからか、今のインド系シンガポール人のパートナーを紹介してくれたわけです。

O社社長とはまだスカイプやメールでしか話したことはありませんが、この3年間でいくつも仕事を受けてくれ、成功実績もあるので、ここで実際に会って関係を構築しようと判断しました。

そういうわけで来週は僕の誕生日と重なってしまいますが、1年ぶりのシンガポールに行ってまいります。

自分の会社のお金を使って出張で行くので、質素な出張となります。

スケジュール的には午前と夜は空き時間があるので、合間にちょっとした観光やショッピングは出来そうです。

また後日レポートしたいと思います。

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